さざなみプロダクション

さざなみプロダクションの平社員による日記

「メタモルフォーゼの縁側」

「メタモルフォーゼの縁側」を観に行った。

きっかけは好きなアイドルが出演していたことだった。

なんと芦田愛菜さん演じる主人公の幼馴染役!おいしい役どころ。告知インタビューのやりとりもかわいらしいし、売り出し中のアイドルにとって理想的とも言える役をもらって頑張っている姿を見て、これは応援しなくてはと思った。

男性アイドルが出る映画ってどうしてもティーンのラブストーリーが多くて(そりゃそうなんだろうが)、私は映画ドラマが苦手なタイプなのでどんなに好きな子が出演していてもわざわざ映画館に行こうと思うことは滅多にない。

でもこれは面白そうと思った。

若いイケメンとの恋愛に拠らない人生の物語、面白そう。主人公は愛菜ちゃんだしクオリティは間違いない。私は芦田愛菜さんが好きだ。利発でかわいいので。

 

で、昨日バカ泣きして帰ってきた。

予告でも「最初の青春と最後の青春」みたいに煽られていることから少女と老婦人の「年の差の友情」物語か~なるほどね、と思っていたらとんでもない、ものづくり人間の人生再現ドラマであった。私は芦田愛菜さんの小さい背中に自分を重ね合わせてさんざん泣かされた。

まだうまく言えない。よかったところを言おうと思う。

ネタバレというかもはや覚えているストーリーを詳細に喋るので注意してください。

 

・高橋恭平くんがかっこいい

高橋恭平くん演じる「紡」がめちゃくちゃかっこいい。

主人公うららと同じ団地に住む幼馴染で、たまに漫画を読みに家に遊びに来て、背が高くて顔が超かっこよくて主人公に優しく偏見を持たない。これは男女問わず全オタクが思うだろう、「なんで俺には紡がいねえんだよ」と。諦めろあんなのラムちゃんくらいファンタジーだよ。

紡、顔がやたらとかっこいいのはともかく、最初から最後まで超いいやつなのだ。本当に超いいやつ。ずっといいやつ。好感度うなぎのぼり。

初登場シーン、クラスでも地味なタイプのうららがプリントの落書きを慌てて消そうとしているところに「どんくさいなあ、貸して」って言いながら世界一かっこいい男の子が登場してひっくり返った。ちょっと笑った。かっこよくて草。

紡は他のクラスに堂々と入ってきて気楽にふるまえるくらいの「陽キャ」で、うららとの対比が眩しい。うららの挙動が身に覚えのあるタイプはちょっと苦しくなっちゃうこと請け合い。そんなイケメン陽キャのいいやつなので、紡はクラスで一番かわいいエリちゃんと付き合ってる。そりゃそうだわ。ああ、エリちゃんを見るうららの視線も、身に覚えがあるんだよなあ。

 

・生まれてはじめて「ものをつくる」姿

これが本当にいい。本当にいい。

イベントに申し込むときの勢いと戸惑いと不安、印刷所の当てと締切が決まったときの「本当にもう書くしかないんだ」の気持ち、進むカレンダーと机に向かう背中、「これを本にして人に売る?正気か?」の独り言、「漫画描くの楽しい?」って訊かれて「うーん楽しくはないです」の答え、脱稿した帰り道に呟いた「楽しかった」、身に覚えしかない。

私は図々しくも芦田愛菜さんの美しく若く華奢な身体に過去の自分を重ねてボロボロ泣いた。

一番涙が溢れて止まらなかったのは完成した本の包みを開けるシーンだった。

緊張しながら息を止めてガムテープを剥がすしぐさ、現れた本の表紙をさらりと撫でる指先、完全にあれはどこからどう見ても二年前の私だった。

「きれい」と呟いた二年前の私がいた。

いや、絶対ここじゃない!ここはまだ一番の泣き所じゃない!と理性では思いながら涙が止まらなかった。鼻水もめっちゃ出た。

大女優・芦田愛菜さんが丁寧に再現してくれた「生まれてはじめて本をつくった私」に心臓を揺さぶられまくって赤ちゃんみたいに泣いた。

 

・雪さんとの友情

これはもちろん言うまでもなくこの映画の主題であろう。私はもうけっこう大人の部類なので、雪さんの目線も理解できる。縁側で一生懸命絵を描くうららの後ろ姿に少女時代の自分を重ねる雪さんのうれしさ、わかる。私もそう。若い子ってかわいい。

縁側に座ってお茶を飲んでカレーを食べて漫画の感想を言い合う、あの場所からふたりにとっての世界が開けていく気がして「本当によかったなあ」と思った。出会う人に出会えてよかった。

雪さんの屈託のなさというか、はじめて触れた漫画を素直に受け止めて「応援したくなっちゃう」と表現する少女らしい心とか、若い友人の将来に喜びを見る優しさ、押しつけがましくなく、とはいえ大人としてまだ少女のうららを見守る気持ちとか、すごく素敵なできた人だなと思うし、うららは雪さんに出会えたから雪さんと離れても生きていけるんだろうな。

「こんな素晴らしい漫画を描いたのよ、情けないことがあるの?」ってそんなこと言われたらもう一生それで生きていけるのよ。

雪さんとうらら、同CPなのに推しが違うのめっちゃよくない?

 

・つくった本の受け止められ方

ここが一番、この映画の安心ポイントだった。この世界マジ優しい。大好き。たとえ映画のご都合主義と言われようが私はあの世界の「やさしさ」を推す。

同人誌をつくるというのは、労力がバカみたいにかかる。さっきも言ったけど途中で「正気か?」って思う瞬間があるし、ずっと楽しいわけじゃない。でももう夢中で駆け抜けるしかなくて、私の世界を具現化するしかなくて、締め切りまで正気を失ったまま走る。

その結果届いた本って、無敵のアイテムでありながら弱点なんだよね。え、みんなそうだよね?

 

イベント当日、人がいっぱいいる会場で怖気づいて外のベンチに座っているうらら(超わかる)に、あろうことか、あの世界で一番かっこいい紡が「あ!見つけた!!」って駆け寄ってくるシーンで私は宇宙猫になった。え??わざわざビッグサイトにしか着かない電車に乗って日本中どこから来ても遠いビッグサイトに来てくれたの?全然一ミリもオタクじゃない紡が!!?!?いいやつすぎない?!!??!?!あと顔が超かっこいい!!!!!!

でっかいリュックを背負って「漫画できたら読ませてねって約束したじゃん、いくら?」と訊く紡。やだよ、と答えるうららに入場者のリストバンドを見せて「俺お客さんだよ?」と言う紡。つむっち大好き。百円玉と交換する本、ありがとうございますとお辞儀するうらら。

この世界でそんな私(私じゃない)に優しいことがあるか!?!?!?

あとその、憧れの漫画家さんとの奇跡みたいな触れ合いについては説明が面倒なので映画見てほしいんだけど、とにかくあの世界の人は一人残らずうららのつくったものを傷つけなかった。それがあまりにも安心してしまって、現実世界があんなにやさしいものばかりじゃないって知ってるけど、それでも私は安心した。

「情けないです」

「どこが?」

そう即答してくれる友人の存在。縁側で泣きながらサンドイッチを食べるうららのそばにある百円玉二枚が、あまりにも宝物だなと思った。

ていうかたぶんここが一番の泣き所だったのだろうが、私はこの頃にはもう泣き疲れており肩で息をしていた。

 

・ものづくりで変化したもの

この世界の優しさは最初から最後まで『変化』しなかった。お母さんはずっと見守り支えてくれるし紡はずっといいやつだしエリちゃんはずっと等身大のきらきらした女子だった。つまり、メタモルフォーゼしたのはうらら(と雪さん)だけだった。

クラスの中心でけらけら笑う美少女のエリちゃんを見るうららの気持ち、ズルいって呟いちゃう気持ち、わかりすぎて逃げ出したくなったけど、一冊の本をつくりあげたあとのうららの変化は目覚ましいものがあった。

自分の世界がたしかにあって、それを表に出す方法を知ったとき、さらに言えば表に出したそれが傷つけられずに『在る』と安心できたとき、やっと他人の世界を認める余裕ができる。私のいとおしい世界が在るように、あの人にも世界が在る。うららにとってはそれが漫画だったのだろうと思う。

だから雪さんが遠くへ行っても、これまでだったら「なんで!?せっかく友達になったのに」と思ってしまったかもしれないが、雪さんの世界が『在る』ことを受け止められたんじゃないだろうか。余談だが私はその、自分が知らない相手の世界の存在を「愛」だと思っている。

風通しの良い縁側で息の仕方を知ったうららは、この後の人生をずっと生きていけるんだろうなと、なんの不安もなくエンドロールを眺めていた。

 

ものづくりの人みんな

この映画を見て「私もはじめての本を作りたい!」と思うかはわからないが、もう本を作ったことのある人間は全員「身に覚えがある」だろうと思う。だから見て。この涙を共有しよう。

あとはたとえば好きなものを堂々と言えなくてクラスでちょっと居心地悪いなっていう若い子とかにも、観てほしいなあ。

私はもう30代になったが若い友人たちがたくさんいて、ときどき「こんな年上と遊んでくれて申し訳ねえな……」みたいな気持ちになることもあるが、そういう年齢差に関係ない趣味の交流をあたたかく描いてくれていて嬉しかったな。

歳をとっても硬くならず、雪さんみたいな感性を大切にしたい。