さざなみプロダクション

さざなみプロダクションの平社員による日記

きょうのつれづれ

頭が散らかり気味なのでブログも話題を分けて書こうと思います。

ひとつの話題に集中するほど脳が整理されていないし、放っておくと喋り続けてしまう時期のようで、場所選びに苦労する。

 

 

わたくしの健康

やや不調。不定愁訴

暑いからね。ちょっと疲れたよね。

日々とにかく眠く、足が重い。夏バテしすぎて夏バテ疲れしている。そしてうっかりこういうことを言うと「もしかして」と言われてしまう年頃、つらすぎる。ただでさえ私はド派手に仕事を休んだ後ということで、ちょっとした不調が大袈裟にとらえられてしまうのである。

あと体重に無頓着すぎるあまり忘れていたが、この前計ったら少し増えており、ついさっき次回の健康診断のお知らせがきたので「アッ」と思っている。

 

美容室にいきたい

私はもともと白髪が多いので月に一度は必ずヘアカラーをしないといけないのだが、それに加えていま髪型が終わっているので早くなんとかしてほしい。

手術・入院後、これまで通っていた美容室に行くのが大変になり、家の近くの適当に選んだ美容室に三回くらい行った。私にとってはヘアカラーが最重要で、あまりカットの腕前を気にしていなかったが、だんだん髪型が終わってきていることを感じ取り、この前ようやく元のサロンに相談に行ったところ、あまりの終わりっぷりに店長さんが出てきて「思ったより……」と絶句していた。

一回では直せないので次回来たときにまた様子見ましょうね、と慰められた。

早く美容室に行きたい。

これは三十代になってつくづく思うが、髪がいい加減だとなにをしていてもみっともない。服だけおしゃれするとむしろ滑稽。逆に髪型がしっかり整えられていると、シンプルな服装をしていても映えるものだ。

たのむ、早くなんとかしてくれ。

 

花壇のようす

みんな気になってると思うから報告します。

オクラが超元気。何度も収穫している。なかでも葉っぱが大きく育った株に「おばけオクラ」というあだ名をつけているが、調べたところオクラは調子がいいと背丈くらいまで伸びることもあるらしい。おばけオクラが正しくて、そのほかのお行儀いいオクラは全部「げんきない」みたいです。かなしい。肥料足しといた。

新しく植えたものが

ニチニチソウ

ペンタス

どちらも夏の花。ピンクでかわいい。花壇が狭いので、せっかく咲いたのにおばけオクラに押されがち。

ミニトマトはそろそろ店じまいの風情。

 

家をととのえる

昨年に家を新築し、二部屋しかない激せまアパートから引っ越したため、我々の片付けスキルはまったく向上していないのに家の中はとてつもなく片付いた(ように見えた)。

とにかく家の収納に対してモノが少ない。引き出しが空っぽ。こんなこと今まで生きてて経験したことない。

だからけっこう家の管理をナメていたが、最近「もうちょっとよく暮らしたいな」という気持ちが湧いてきた。たぶん、まだいける。いや相当いけるはずだ。だって家の広さは単純計算で三倍くらいになっている。

 

楽天スーパーセール楽しみ

たのしみ。楽しみじゃない?そう……

楽天スーパーセールはだいたい年四回開催され、次は例年の傾向からして9月4日から(毎年この日らしい)と有識者がブログ等で検証しているのでそれを信じているが、べつに今年はやりませんと言われても文句は言えない。スニークと一緒。

この前のセールは6月だった気がするが、そのとき必要備品をなにもかもまとめて買ったのがかなり爽快で面白かったので、他に必要なものがあれば次のセールに合わせて買おうと思ってちょこちょこリストを作ったりしている。

前回買ったものを列挙すると

・テレビ台

浄水器カートリッジ

・マスク

・スポサン

・レインシューズ

ティッシュ

・常備薬、サプリ類

・ベジトラグ(背の高い野菜用プランター

・園芸用土

くらいかな。

さっきも言ったとおり、家を快適にするためのものが必要になってきたので、そういうものを選ぶのが楽しい。でっかいソファとかほしくない?だめ?そう……

ロックンロール・エニーロック

好きなアーティストがラジオでエニーロックの話をしていた。

エニーロックというのはあの、食品の袋などを開封したあとにもう一度閉じることができるスティック状のクリップのことである。イメージとしてはジップロックの口の部分だけって感じ。

もちろん主題はエニーロックじゃなくて「自分では当たり前のものが他人の生活だと当たり前じゃないことってあるよね」というような話の導入だったと記憶しているが、彼の話しぶりに感心したので残しておきたい。

詳細な口調はだいたいの記憶と長年の認識により補完しています。

 

「俺はエニーロックのヘビーユーザーで、ないと落ち着かないんです。何本もストックしてるんですよ。このまえ友人の家のキッチンを使わせてもらうことがあって、あれ?エニーロックどこ?ってなって」

なるほど。ちなみにうちにもエニーロックはない。

 

「エニーロック、使わない人もいるよね。そんなの使わないよ、輪ゴムで充分だ!って人もいるだろうし」

うんうん。私は事務用クリップで留めているよ。小回りが利いて案外便利。

 

「……あと『保存用の袋に移し替えます』って人もいるかもしれないし」

ここです。

私はここにひどく感心して「はぁ~~~」と感嘆のため息を漏らし駅のホームで拍手を送った(脳内で)。

 

これはわかりにくいだろうか。私の邪推だろうか。でも私はこの一言を、たった一言で自分を「上にも下にも置く」発言だと思ったのである。

ええいこの際邪推でもいい。彼を20年間慕ってきた私がそう感じたのだから、そうであるという前提で話を進める。

 

たぶん彼は発言してから「輪ゴムで充分だ!って人」という言い方に、自分が意図していない揶揄が含まれてしまうと気づいたのだと思う。自分はエニーロックを愛用し袋を留めているが、わざわざそんなもの使わないよ、輪ゴムでいいじゃんっていう「気にしない人」もいるよね、みたいな。まるで専用のアイテムを用意している自分が「ていねいな人」で、「そうじゃない人」と区別しているようにとられてしまうかもしれない、と。

そこですかさず「保存用の袋に移し替える人」と言ったのだと思う。つまり自分よりさらに「ていねいな人」を仮定した。少なくとも私はあの一呼吸空いた間に、その思考の動きを感じた。

自分を、一言のうちに、どっちでもある立場に置いたのだ。

とくにこれはラジオだから、誰が聴いているかわからない。あらゆる『あなた』を想定して話す必要がある。対話の中、一瞬で立ち位置を見極めるセンス。

なるほど。

 

本当にちっぽけな話題のちっぽけな一言なので、そんなのどうでもいいと思う人のほうが多いんだろう。そもそも全然メインの話題じゃなかったし。

でも私はこのたった一言に、30年間芸能活動を続けて一度も大きくイメージを損ねていない彼の気配りを見た。気がした。

ライブで二階席の端っこに向かい「遠い人もね……大丈夫、あのー、あなたのことを考えながら歌います」と言うその気配り。

美しく、生きづらいなあ。

簡単に真似ができるものではないが、他人と話すとき、心がけたいと思ったのである。

主人公の『傲慢』について

これはCoCで遊んでもらったときの感想であり、私のキャラメイクの記録です。これから遊ぶ予定の方は、以下、特に感想パートは読まないことをおすすめします。いつものことながら、気にしない場合はかんたんな読み物としてお楽しみいただけます。

とても長いので興味のあるところだけ拾って読んでいただいても問題ありません。

はじめに

新しくCoCのセッションに誘ってもらったとき、私はちょっと元気な時期だった。私は周知のとおり厄介なほどの繊細さん(悪口)であり、傷つきやすすぎるために映画や小説に触れるとき慎重になる。とくに自作のキャラクターを連れていくシナリオとなると非常に注意深く予防線を張ってあれこれとお願いをし、巧みにちょうどいいやつを選んでもらうのが常であった。苦手な展開が多すぎるので、うっかり手を出すと大火傷しかねない。

 

これ書いてて思ったけどよく遊んでくれるなぁ……。感謝しないとね。

 

しかしそのときは夏の暑さでイライラしていたからか、やや気が大きくなっており、今ならグロ以外なんでもいけます!と宣言した。ただ暑さでイライラしていたので、恋愛感情がメインじゃないほうがいいです!とも言った。暑すぎて壊れた私の頭でセンチメンタルを感じることは無理だったのだ。あと、探索多めにしたい!ともお願いした。(注文の多い料理店?)超ド級初心者の私はこれまでどちらかといえばキャラクターを持ち寄って会話するゲームをチャットの延長で楽しんでおり、TRPGの醍醐味であるダイスを振るとか探索して謎を解くとかそういうゲーム性のほうをあまり重視できていなかったと思っていた。これまでわりと切ない雰囲気になるエピソードを好んできたし、今回はいっぱい喋っていっぱい動いて謎を解くぞ!というのをやってみたいと思ったのである。
そしていくつか候補を挙げてもらった中にあったのが「The Brickbury(ドナルド・ウェルズリーの午前2時に開く映画館)」であった。雨降るレンガづくりの街で住民たちの噂を取材する新聞記者二人組。最高。ディズニー、カートゥーン、シャーロックホームズ好きの私おおよろこび。

 

キャラづくり

はい!わたし記者を作ります!
ルックスは前からストックしていた子がいたのでそのまま使った。私は緑の目の男が大好き。
前述のとおりいっぱい喋りたかったので、セリフが出やすいような、キャラ立ちするような性格を付けたいなと思って「甘党で倹約家」とした。倹約家といってもお金を出し渋るようなやつは好きになれないので、どちらかといえば『賢く暮らすのが好き』くらいか。お金を大切に使って、お買い得な旬の食材を買い、日々の暮らしを楽しむ。早寝早起きして窓にお花を飾ったりする。生活を愛している子がいい。そうなるにはお金の価値を知るきっかけがあっただろうなと思い、貧しい家の出身で若いうちから働いているという設定にした。きっと新聞売りのニュースボーイとかを経験して、いまの新聞社で記者になったのだろうな~みたいな。幼いうちに裕福な親戚に養子として引き取られた妹がいる。それを悲しむとか恨むとかではなく、自分とは違う町で暮らす妹の生活も大切に思っているだろうな。
いいね、健やかでかわいいかもしれない。
名前はあまり男性的な響きが似合わない気がして、でも可愛らしすぎるのもなあと思って、リオとつけた。レオナルドの愛称。私は本当に英語名を付けるセンスがなく大変苦しんだ。ファミリーネームはいっこも出てこなくて苦し紛れに好きな画家にした。リオ・ターナー。みんなもターナー好きでしょ。最後まで迷ったのは「リオ・アップルフィールド」。かわいいと思って。

 

後輩くん

シナリオに入る前に後輩くんの話していいですか?うん、ありがとう。
このシナリオの登場人物は記者二人組なのである。つまり私が作ったリオには行動をともにする後輩がいる。私はお相手が作ってきてくれるキャラクターをいつもとても楽しみにしているのだが、今回タイムラインにポンっと登場した後輩くんを見た私の第一声は「ガチ恋しそう」だよ。ごめんね。めちゃくちゃかっこよくてむりでした。恋愛感情に頼らないシナリオがいい!などと言っておきながら私は後輩のジェラルド・フィッツジェラルドくんに一目惚れしたところからはじまっており非常に分が悪い。キャラクターシートを読む限りジェラルドくんはおそらく金持ちの家の息子であり金にそこまで困っておらず仕事にそんなにあくせくしていない。
わあ!気が合わなそう!!わあ!!!顔がかっこいい!!!!

 

感想

はじまります。
以下ネタバレばかりです。

 

後輩くんに対して

締め切り前の編集部、進捗を聞かれて困るリオ。初登場のジェラルドくん、紙飛行機飛ばしてて最高。三番目の彼女にしてほしい。
ジェラルドくんにガチ恋しかけている私がリオ・ターナーとして心がけていたことは、彼に仕事仲間として接すること。たぶん何もない状態で友人となったふたりだったら嚙み合わないところが多すぎて付き合いは続かないだろうと思っていた。でも、職場ではそういうことって珍しくない。生まれも育ちも考え方もぜんぜん違う人間が隣のデスクに座っていて同じ仕事を分担するなんてことは日常茶飯事である。
リオはたぶん自分はやらないけど、彼のデスクが散らかっててもたばこ吸っててもいいのだ。仕事仲間だから。仕事仲間としてなら、愛想がよくて自分に懐いている青年はかわいい。うまくやっていけるだろう。
だから彼が取材にやる気を見せれば先輩として嬉しく思ったし、取材中も何度か「どう思う?」みたいに意見を求めたし、ジョークを飛ばして「捕まる時は一緒だよね」に対して「あー……仕事中はね」とか。仕事中は自分と彼は運命共同体なのだ、という意識があったと思う。ちょっと冷たいだろうか。いやそんなことはない。私はジェラルドくんにベタ惚れなのである。これはリオの意識の話です。

 

しかし、しかし。

 

取材帰りに雨の街で「水たまりがあるから足元に気を付けて」と言ったとき、これは本心からというか、素で言った。仕事仲間へのねぎらいというよりは彼の人間的な本心で、ただの挨拶と同じで、水たまり踏まないでねって気持ちで言ったことだ。そりゃ踏むより踏まないほうがいい。それに対してジェラルドくんが「なんで?靴が汚れたら磨いてもらえばいい」って言ったとき、私は心のど真ん中に円柱型の黒いなにかがズドンとはまったのを感じた。わかりにくい表現。なんていうか、お互いの違いに目をつぶってうまくやりとりをしていたつもりだったんだけど、ふいに隙をついて心の底まで貫くような『違い』がどかんと襲ってきてビックリしたのだ。すっげえ。これ、どっちも悪くないからすごい。
彼にとってもしかしたらそれは「仕事を与える」という意味を持つことかもしれない。靴もきれいになるし相手も儲かってwin-winでしょみたいな。たしかに靴磨きの少年にとって街行く人の靴が汚れなくなったら商売あがったりだ。うーん。
リオは困惑し「靴を磨いてくれる人だって別に、お前の靴が濡れてうれしいわけじゃないだろ。儲かるかもしれないけどさぁ」と言った。私だったら「お大事にって言う医者はあなたがまた風邪ひいてくれたら儲かるって思ってるわけじゃないでしょ」とか言うかもしれない。
「もっと根本的にこう……あの人濡れないで家に帰れたらいいなみたいな…………まあいいや」
あ~~諦めちゃった。
リオ!がんばって!!
なんかそこにある、社交辞令とも違う、なんか、祈りというか、気軽なおまじないみたいな気持ち。おやすみいい夢を、とかそういうことなんだけどなぁ……。
後輩くんはめちゃくちゃかっこいい顔でしげしげとリオを眺め、言った。
「チョコレート、いらなかった?」
この言葉の意味が瞬時に理解できず、私もリオも「???」みたいな顔をしてしまった。チョコレートというのはさっきジェラルドくんが甘党のリオに「ご機嫌取り」と称して渡してくれたチョコのことだ。これはいま思えば「さっきのチョコみたいな『見返りを求めたギブ』には価値がないということ?」って訊きたかったのかな。えーん。ちょっと違うよお。ちゃんと嬉しかったよお。


ここの微妙にお互いの言いたいこと飲み下せてないけど歩み寄ろうとする二人の会話、本当によくて、私は「これこれ!!!!!」と思った。お互いに完全に理解はしてないんだけど「センパイが機嫌よければ俺が嬉しい」「俺もお前のかっこいい靴が濡れないほうが嬉しいよ」というこの、思いやりの応酬。わかりあうよりときに難しい、相手をわかりたい、相手のために優しくしたいという気持ち。私はリオとして、仕事仲間と割り切っていたはずの後輩くんにたしかな友愛という名の愛情をおぼえました。ここが山場だったかもしれないくらいに。

 

リオの「怒り」と傲慢について

リオくんはめちゃくちゃ怒る子だった。私には制御できなかった。
まずストーリー進行上、財布をスられて死ぬほど憤慨した。そりゃそうか無理もない。彼はお金を大切に暮らす倹約家なのである。逆にこのストーリーを何も知らずに「倹約家」ってキャラ付けしてたのが奇跡かもってくらいに、見事に財布をスられた。たぶん大金が入った財布でもないし代わりに高価なものを貰ったのだがおそらく「ひとのものを盗るな」という当たり前のことで本当にブチ切れていて、しまいにはブチ切れすぎて倒れそうになっており私も困った。後輩くんも困っていた(かわいそう)。

あと、ラストシーンでも非常に怒っていた。ホラー苦手なのに怒りすぎて怖がる暇もなさそうだったし、武闘派キャラじゃないのに怒りすぎてパンチ一発で相手を床に沈めた。ジャンプの主人公か?
彼は黒幕(?)の「一緒に居て欲しいから相手を変質させて傍に置く」というやり方に心底怒っていた。これは私がジョジョ五部のブチャラティの最期にやるせない気持ちを抱いているのと近いかもしれない。尊厳ある死、みたいなものに、理想を抱いてしまっているかもしれない。あとリオにとって、幼くして養子になった妹は、当然そばに居て欲しかった家族であり、しかし彼女の幸せを願えばこそそれを受け入れ、喜び、今日まで暮らしてきた。なんかそこに許せなさがあったのかもしれない。
「全然違う生き物が、ちょっとでも一緒にいられる時間を大事にすることが、生きるってことじゃないのか。俺はそう思うけど」
そうなんだね、リオにとってはそうなんだ。私はしっかり読んだよ。(自分で打っておいて変なこと言ってると思わないでください)だからリオは毎日の暮らしを愛しているんだよね。
このとき、敵対する相手の言い分も私には少しわかるところがあり、私の皮膚は同情的になっているのにリオが怒り狂っているせいで内側が熱くて苦しかった。勘弁してくれ。私もなんとかしてほしかった。

 

最終的に求められたのは「異形になってまで一緒に暮らす」ふたりを認めるか、むしろ「誰かがその暮らしを他者に迫る」ことを許すか否か、という選択だったのだろう。たぶんこれは、人によって正義があって、きっとどっちでもいいのだ。もし変質してしまった本人がそれでもいいと言っているのだったら、ちょっとおかしな家族として認めることだって充分にできた。それがこの物語の想定されうるハッピーエンドなのかもしれない。ふだんの私だったらそうしたかも。
でも、リオはとにかく許せなかったのだろう。それが誰のためだとかいうことはできなくて、ただ、リオ・ターナーが持っている正義じゃなかった。だから結構めちゃくちゃに、強気に、怒って壊した。こぶしで片づけた。
最後の最後に破壊した『それ』を「壊したまま帰る」か「直すのを手伝う」かという選択肢があり、私は「手伝う」を選んだが、リオは「『遺骨を』拾うのを手伝おう」とわざわざ言った。彼は死んでいると宣言した。そしてダイスの出目が悪く、手伝いはうまくいかなかった。たぶん、直したくなかったんだろう。リオが二度めに殺した。

 

あとで風呂に沈みながらゆっくり考えてみて、私の創作キャラにしてはありえないくらいに傲慢だったかもしれないと愕然とした。なにも疑わず、自分勝手で、強すぎた。

なんか、ジャンプの主人公みたいだった。それも私が普段わからんってスルーするタイプの。
もしかして主人公ってそういうものなのかもしれない。私自身の中を流れる物語とは違うところで、リオという人格がそれを選んだ。そういうラストだった。

 

誰かを想うということ

最後に「家族ってなんなの」と訊かれたリオが案外あっさりこう答えた。
「目が覚めた時と、食事の時と、眠る時に、元気だといいなって思う人のことだよ」
なるほど。
これを相手の『家族』をこぶしでぶっ壊したあとに言うのは暴力主人公すぎて非道な気もするけれど、でもリオが言いたいのはたぶん、血が繋がらなくても、離れてしまっても、たとえ死んでも、無理やり傍に置かなくても、大切に思う人が家族なんだよってことだろう。

一緒にいるときを楽しみ、離れたら幸せを願う。

リオはそうなんだね。きっと妹のことを思い浮かべていたのだろうと思う。
家族というか、つまり、もっと大きく、自分以外の誰かを大切に想うということ。
それは少し私の思う『愛』と似ている。

 

でも私ここで思い出したんですよね。リオは後輩くんに言ったじゃないか、「お前の靴が濡れないほうが嬉しいよ」って。
「全然違う生き物が、ちょっとでも一緒にいられる時間を大事にすることが、生きるってことじゃないのか。」
ねえ。だからつまり、そういうことだと思うよ。今日も仕事頑張ろうね。

コンプレックスの話

純粋な感性というものにひどく惹かれるし、同時に羨んでしまう。

わかりやすいところでいえば、子どもの描いた自由な絵や作文がその感性の鋭さや視点の純粋さからときにものすごく心を打つことがあるが、私はとくにそれを成人したひとから感じたとき、ぼこぼこに打ちのめされて仰向けになってしまうのである。

 

たとえばですけど

最近「おお」と思ったことがある。

人気歌手がジブリ作品の主題歌を担当したことが話題になり、おそらくずっと公表を控えていた本人もツイッターでそのことを発言していた。落ち着いた静かな語り口で、お話をいただいたときまず驚いたということ、三鷹のスタジオに打ち合わせにいくたび不思議とよく晴れた日だったこと、散歩する道の影が真っ黒だったこと、遊ぶ子どもの声がして「豊かな体験だった」ということを書いていて、私はそれをまっすぐでいい文章だなと思った。

もちろん読みやすくまとまっていて「上手な文章」だったけれど、それよりまず「まっすぐだな」と思った。

私はボカロをほとんど聴かず、完全にメジャーデビュー後に流行りきってから彼を知ったので、どこかで『人気者で才能のあるオシャレな人』というフォルダに勝手につっこんでいて、彼の感性を意識したことがなかった。

こんなにまっすぐな感性を持っている人だったとは。

いや、こんなにまっすぐな感性を持っていることを、はっきりと文章で示せるから「うまい」し「売れる」のだろうけれど。それはともかくとして、持っていない感性を示すことはできない。

いいな、と思った。

 

子どものころ

私は子どものころ絵と文章が得意だった。親に聞いても私は丸が四つ並んだ人の顔(アンパンマンみたいなやつね)を描かなかったというし、2~3歳からもうヒトガタの絵を描いていた。幼稚園児の頃に見よう見まねでひらがなを覚えた記憶があるので、たぶんモノの形を覚えて再現するのが得意だったのだと思う(そのせいでいまだに書き順がメチャクチャだという自覚はある)。

で、学校ではいつも優等生タイプの作品をつくっており、賞状をたくさんもらった。これについて、さくらももこ先生が「たまたま賞状をもらえる分野が得意でよかった。スポーツならひとつももらえないところだった」というようなことを述べており私は心底共感した。

だけど『金賞』とかに選ばれる作品ってやっぱ、絵も文章もテクニックとはまた違うんですよね。そこには不可侵の感性がある。

 

小学校中学年のとき、黒い画用紙を切り抜いて後ろからカラーセロファンを貼るという図工の授業があった。私はこんなことばかり覚えているなあ。

当時の私はステンドグラス風の作品ってことね、と理解し、画用紙の穴とカラーセロファンでなにかの絵を描く作品をつくったと思う。たしか花とか妖精とかそういうものだった。

でもクラスメイトの女の子がつくった作品があまりにも素晴らしくて、全身で絶望したのを覚えている。自分の作品のことなんかもう忘れたけど、その作品は覚えている。

その子が画用紙に開けた穴はなにかの形になっているのではなくて、うろこのような連続した穴に色とりどりのセロファンを貼り、画用紙一枚で『色』だった。風の流れみたいだった。

これはすごい、と心から思ったし、こういう作品は私にはつくれない、とがっかりした。

そういう記憶がずっとある。

純粋な感性、というものに、ひどく惹かれてしまう。

 

ちかごろ

好きなWebライターさんがいる。

ライターなのに長い文章が読めず、本を一冊も読んだことがない、という前情報が気になって、彼が生まれてはじめて小説を読んでみるという記事を読んだのがきっかけでファンになった。すごくいい記事で、メチャクチャにバズってたので知ってる人もいるかもしれない。

とにかく文章が読めない、という意味がわからなかったけれど、まず漢字や言い回しにわからないところや気になる部分があると一行でずっと考え込んでしまうから先に進めないらしい。そのうちどこを読んでいるかわからなくなってしまうという。まあそれは生真面目さとか、不慣れさによると言えるかもしれない。

あと、感受性が豊かすぎるのだなと思った。文章に書かれたすべて(ほんとうにすべて)に感情移入し、いちいち自分と似ているところや違うところを探し、一行ごとに相槌を打ち、全身で「わかる!」と返事をする。これはたぶん、ひとりで読書を楽しむのは無理だ。精神が疲弊してしまう。多くの人にとって読書とはきっとどこかでひとりきりの「娯楽」であり「ひまつぶし」であり「こなす」ものになっていて、こんなに細部まで自分を重ねたら苦しい。私も『映画や本に引っ張られて落ち込む』というのをやりがちで、そのせいで映画が苦手だからわかる。

最近読書に気が乗らない理由まで思いがけずわかってしまった。

読書というのは、全力でやると傷つくのだ。

彼は傷つくことに無頓着に、すべての文章に全力で当たり、全力で笑い泣きときに拍手を送っていた。ライターの本領発揮というか、記事の最後に書かれた感想文はまさしく感性のままに綴られており、本当にこの本を楽しんだのだということがビシビシ伝わってきて私はベッドの中でしくしく泣いた。

私はまた、いいなあと思ってしまったのである。

プロフィールを見るとほとんど同い年であり、私とほぼ同じ年数の人生を過ごしているはずなのに、剥き出しのままの感性が汚されることなく、また傷つくことを恐れてそれを隠すことなく生きている姿に、憧憬と嫉妬を覚えてしまった。

世界を疑わない姿勢。それは子どもにしか持ちえないものだと思っていた。でもなんか、いろいろ見てたらどうやらそうじゃないみたいで、私は最近「それ」を持った人がずっと羨ましいのである。

 

このブログだって結局は体裁を取り繕った小手先の文章で読みやすい3000字にまとめたもので、私がのたうち回って「いいなあ~~~~!!!!!!」と喚いたことなんか本当は誰にも伝わらないのかもしれない。

 

やさしいもの、美しいもの、気高い魂に強く憧れるし、そういう人が好きだ。

それは裏返してしまえば、私がそれを持っていないから、羨んでいるだけなのかもしれない。強く欲してなりふり構わず手を伸ばす勇気すらも持ち合わせていない。ただなんとなく、小学生のころから、あれは持っていないなあ……と思っているだけだ。

花壇のこと

我が家には小さい花壇がある。

本当に小さい。庭の設計をするときに、私は別になくてもいいと思っていたが、夫がせっかくならガーデニングをしてみたいというので「まあ、じゃあ、小さめに……」と言って作ってもらった小さな花壇である。

結論としては作ってよかったと思う。なんなら、もっと大きくすればよかったと思っている。私のほうがよほどエンジョイしている。長年の狭いマンション暮らしで完全に忘れていたが、私はもともとガーデニングが好きであった。(同じく設備の整わない暮らしのなかで忘れていたものに「お菓子作り」がある。)

 

いまのところの花壇の変遷を記録しておきます。

まじめに読まなくてもいいです。

 

石ころ

花壇を作ってくれとは言ったが、いい土を入れといてくれとは言っていない。新居には小さなレンガ造りの素敵な花壇がくっついていたが、その中の土は完全に「とりあえず入れた土」であった。これはあれだろ、この土地の、あの、地盤の土だろ。

少し掘ると石ころが無限に出た。たぶん前の家の瓦とかも出た。粘土も出た。虫は一匹も出なかった。そういう土である。

百均で買ったスコップと熊手で掘り返し、石ころを拾い、半分くらい土を捨て、買ってきた土と肥料を入れた。どうぶつの森のキャラクターになったかと錯覚するくらい、しゃがんでせっせと石ころを拾った。

いま思えば、もっと最初から本格的に土を総入れ替えすべきだった。植物を植えてから土の手入れをするのは難しい。見切り発車すぎた。反省。

 

チューリップ

植えた時期:12月頃。遅かったみたい。

そろそろなにか植えてみたいなと思っているころ、職場で「チューリップの球根要らない?」という平和なお誘いを受け、ガーデニングを楽しむパートさんたちに交じって「五個ください!」といって貰ってきた球根を植えた。

「新居に花壇を作ったのでなにか植えてみたくて!」「あら~素敵!いいわね!」「こういうのっていつ頃植えればいいんですか?」「急がないと、チューリップを植えるにはもう結構遅いみたいよ」「えっ(絶望)」から始まった私のガーデニングライフ。

植えた日は曇っており、風が強く、死ぬほど寒かった記憶がある。私は「こんな寒い日に植えられて、私だったらいじけて咲かないと思う」とツイートした覚えがある。

チューリップの球根は土の中で冬を越し、春に芽を出す。

私は数カ月の間、なにもない土に水をやり続けた。もしかして芽を出さないかもしれないと思いつつ、とりあえず毎朝水をやった。まじめ。

2月くらいにやっと小さな芽が出て、そのまますくすく成長し、3月下旬に最初の花が開いた。はじめて育てた花はとても可愛くて嬉しかった。五つぜんぶ開いたのは私が入院中のことで、夫が写真を送ってくれ、私は病院のベッドで「くっそー!!!」と言った。あとでみんなに訊いたらやはり貰った時期が遅いこともあり、咲かなかったおうちもあるらしいので、すべて開花したうちはかなりラッキーだったと言える。

なお、このチューリップの球根は「赤」「白」「黄色」の三色があり、貰うときにどれを何個とリクエストしていたのだが、私がバカすぎてぜんぶ同じ袋に入れて持って帰ってきたためどれがどれだかわからなくなり、まさかのチューリップ色当て開花ダービーが開催されることとなった。ノッてくれたみんなサンキュー。大好き。

 

バラ

植えた時期:2月中旬。少し遅めだったみたい。

「マチネ」という薄紫の品種と、「スカーレット・ボニカ」という赤い品種。どちらも新築の記念に自治体から引換券をいただいて、好きな苗を選んで貰った思い出のバラ。

これまた寒い日に植え、育つかなあと一抹の不安を覚えながら水をやっていた。はじめてのバラ栽培は、虫や病気の予防、枝の剪定など、なかなか初心者には難しかった。

でもそこはバラという強い植物のすばらしさ。人気があるのもうなずける。最初は枯れ枝みたいな株だったが、いまでは美しい葉が生い茂っている。下手な手入れでもバリバリ育ち、一年目なのにモリモリ咲いてくれて本当にありがたい。一度咲いてしまえば花は強く、きれいで、部屋に飾ると一輪でも華やかでとてもいい。

私はバラの散り際が好きだな。美しさを誇るように咲き続けて、ある日突然はじけて花びらが崩れ落ちるのは、耽美だなあ~と思う(片付けは大変)。

 

ネモフィラ

植えた時期:2月中旬

バラの株を貰いに行ったとき、ついでに苗を買ってきて植えた。

青い花はかわいらしく、まだバラもチューリップも咲いていない花壇をにぎやかにしてくれてとてもよかった。しかし暖かくなってくるとみるみる伸びて広がり、いわゆる『徒長』してしまい、あまり長持ちはしなかった。もう少しこまめに剪定すればよかった。これも反省。

花とは関係ないけどこのころ花壇の周りにアリが出てすごかった記憶がある。少し掘り返すとコガネムシの幼虫(バラにつくらしい)もいた。心臓止まるくらいびっくりした。

虫一匹いなかった土がこんなに生態系を……と感慨深くはあったが、この地面いくらしたと思ってんだよと思ったら虫でも許せないので駆除した。

 

アレナリア・モンタナ

植えた時期:4月中旬

チューリップの花が終わり、花壇が寂しくなったので、白くて小さい花がほしいなと思って買いに行った。初夏にかけて小さい花が次々に咲いて見ごたえがあった。

植え替えを一度して、いまはバラの根元に植えている。花は終わったようだが、低く伸びる緑は芝生のようでこれもまたいい。我が家の庭は朝がとくに日当たりがよく暑いので、このままだと夏を乗り越えられなさそうでハラハラしている。

 

マリーゴールド

植えた時期:4月中旬

アレナリアモンタナと同時に買ってきたもの。はっきりと美しいビタミンカラーの花は花壇を華やかにしてくれてかなりいい。真夏でも毎日花が咲いており、葉は若々しい緑で景気がいい。

生命力が強いため、こぼれ種でメキメキ増えてしまい、いまでは植えてないところからも花が咲き始めている。あつ森みたいで愉快だ。

 

シロタエギク

植えた時期:4月中旬

アレナリアモンタナ、マリーゴールドと同時に買ってきて植えた。ぽってりした白っぽい葉がかわいらしく、冬の寄せ植えとかにいいかも……とぼんやり思っていたが、ものすごく強い。超大きく育った。ちょっとした木みたい。どうしよう。真夏でも元気。

個人的にはその成長ぶりを「いいぞ!」と思っているが、隣のマリーゴールドがやや迷惑そうにしている。

 

ミニひまわり

植えた時期:4月下旬

百均で買った種を植えてみた。本当にアニメのハム太郎の好物みたいな種。あまり期待しないように……と思っていたが、ちゃんと芽が出て7月中頃に花が咲いた。小さくてかわいい。

同時に買ってきた他の花は芽が出なかったので、さすがひまわりは強いなと思った。私があまり手入れをしていないからか、もともとそうなのかは不明だが、なんていうか葉っぱの色が微妙だなぁと思っている。

 

カブ&ハツカダイコン

植えた時期:5月下旬くらい(あいまい)

食べられるものも植えてみようということで、プランターでも育つという小さい根菜から挑戦してみた。どちらも芽が出るのは早かったが、植える時期が少し遅かったようで、実が育つのは時間がかかった。

あと信じられないくらい虫がつく。本当に信じられない。まあカブの葉っぱなんて人間が食べてもおいしいもんね。そりゃそうだよね。許さないけどね。

夫は虫が好きなのでよく葉の裏などをじっ……と観察しており、その様子はかわいいけどはやく捕まえてどっかにやってくれ~~と思っている。最近まで虫・両生類・爬虫類が好きって知らなかった。まだ知らないことはあるのだな。

7月にすべて収穫し、酢で和えて食べた。かなりおいしかったので、虫さえつかなければまた育ててもいいなと思った。

 

ミニトマト

植えた時期:6月初旬。たぶん遅かった。

ホームセンターで見切り品みたいに半額で売っていたミニトマトの苗を、試しに買って植えてみたら信じられないくらい成長してしまい、いまでは私の身長(161cm)よりも高い。挿し木も追いつかないほど伸びた。元気でよろしい。虫も少し防虫剤をかけておいたら、心配していたほどつかなかった。

おととい初収穫し、マリネにして食べた。きれいな赤で、まんまるで、甘くておいしかった。100円くらいで買った苗からいっぱい収穫できてすごいなあ。とはいえ世話をする手間があるから、コスパだけ見るなら買ったほうが断然安いのである。家庭菜園ってそういうものじゃないから。たぶん。

 

大葉

植えた時期:5月下旬くらい

狭いマンションで生活リズムが終わっている暮らしをしていた際、唯一ベランダで育てたことがあったのが大葉だった。収穫が間に合わないほどよく育った覚えがある。

なので、これは適当に世話しても育つという自信があった。

しかし一軒家の庭はマンションのベランダよりも低いところにあるので、大葉につく数少ない虫がついてしまい(最悪すぎ)世話をするのがかなり大変だった。

あと収穫したものを食べてみたけどあまり風味がよくなかった。もう~!

 

オクラ

植えた時期:5月下旬

オクラはとにかく種が大きくてカワイイ。本当に、ビーズみたいにでっかい種をつまんで蒔くので、子どももきっと楽しいなと思った。

発芽もはっきりとわかりやすく、茎は強く、葉はでっかく、虫がつかない。最高。

花が咲いたら五日くらいで実を収穫できるのだが、一日に成長する速度が異常に速い。朝5センチだったけど夕方に見たら10センチなんてこともあります、って記事を読んで、嘘だと思っていたけど本当に伸びた。

昨日みそ汁にした。綺麗なみどりで、ちゃんとぬめりがあり、おいしかった。

 

おわり

植えたものの履歴はこれくらいかな。

あといま育つのを待っているものとしては、ケイトウとラベンダーがある。

どちらも花が咲くといいな~と思いつつ、毎朝あまりの日差しに気絶しそうになりながら水をやっている。

見た目の年齢を考える

きのう久しぶりにテレビを見た。

私たちの家では録画以外でテレビ番組を視聴することがほとんどなく、夕飯時の娯楽としては主にテレビ画面でYouTubeかサブスク配信サービスを見ているのだが、久しぶりにリアルタイムで放送中のテレビ番組を見た。たまたまテレビをつけたら放送されていた、懐かしの名曲100選、みたいなやつ。80年代~00年代の人気歌手の映像が流れるやつ。同様の番組がよく放送されているところをみると、いまの「テレビを見ている」層にはぴったりハマる話題なのだろうな。そして我々は何故か80年代の歌が妙にめちゃくちゃ好きなので、流れているとまんまと見てしまうのである。

往年のスターたちを見て思うが、若い。見た目が若々しいという意味ではなくて、むしろ逆で、見た目はすっかり大人で堂々とスターとして活躍しているとき、まだ二十歳だったりする。

十六歳のアイドルがひとりで(当時のアイドルは大抵ひとりだ)、完璧にかわいい笑顔を次々に変化させながらにこやかに歌うところを見て「顔の完成が早いな……」と思った。私が十六歳のころなんて、まだ輪郭すらあいまいだったような気がする。

 

ところで、私の夫は童顔である。一緒に暮らして毎日見ているので少し判断が鈍っているが、それでもこんなに童顔の人は滅多に見たことがない。大学院生のときに構内を歩けば年下の学部生に新歓チラシを渡されたりしていた。今年で三十三歳になる彼は、身内の私がどう贔屓目に見ても見た目は二十四歳といったところ。いや、これは相当な贔屓目だ。部屋着でスーパーに行くと酒を売ってもらえなかったりするから、実際は十八歳なのかもしれない。ここが!というポイントはわからないが、髪のつや、頬の皮膚、あごの輪郭、骨格、そういったものすべてが若者である。羨ましいね。

 

さてテレビには「およげ!たいやきくん」を歌った子門真人さんが映り、貫禄たっぷりに歌う当時の彼が三十五歳だとテロップが表示され、我々は度肝を抜かれた。さ、さ、さ、三十五歳!?!?!?!あと二年でこうなれるか!?!??!?!?

夫は困惑しきった様子でぽつりと「男の人ってどこかのタイミングで『オッサンになろう』って決意してオッサンになるの?」と言った。知らん。きみはいつなるんだ。あと「俺はオッサンを通り越していきなりおじいちゃんになるかもしれない」とも言っていた。そうかもしれない。

 

いまだに私は、自分が老けて見えるかどうかもわからないでいる。近くにいる人間の尺度がぶっ壊れているので、判断基準がないのである。しかし自称「若く見える」とか自称「童顔」ほど痛々しいものもない。自分のことは厳しめに見ていきたい。あまり同い年の女性が近くにいない暮らしをしているので難しいが、いまのところおそらく『年相応』であるとは思う。メイクや着る服なども徐々に落ち着いてきている。

このまま私は順調に歳を取るだろう。夫は多分しばらくこのままだろう。そのうちオバさんと若者の夫婦みたいに思われるんだろうか。つらい。はやく平等に歳を取った老夫婦になりたい。

Have a magical Day!

ちかごろ涙腺のセキュリティがバカになっている。

若き頃、私は滅多なことでは泣かなかった。悲しくて悔しくて泣くことはあれど感動して泣くということはほぼなかった。素晴らしいものを見る、優しさに触れる、そのたびにたしかにグッとくるし感動はするのだが、その感情の揺れが胸でおさまり、涙腺まで刺激されないというイメージが近い。

だから感動が人に伝わりにくい生態であった。

それがどうだ、最近は。

日曜日の午前中にあっちいのにちっせえ帽子かぶって散歩してる幼児を見ただけで簡単に潤んだりして、恥ずかしいとは思わないかね。

思いません。

きのうディズニーランドに行き、相も変わらず最高の場所だったわけだが、私は四回涙を零しもうヒトとして限界だったので報告します。長いです。

 

白雪姫の子

入園前の手荷物検査を受けるとき私の少し前に白雪姫のドレスを着た3~4歳くらいの女の子がいた。ウーンかわいいね。百億点。優勝。

手荷物検査を終えたプリンセスはキャストさんになにごとか話しかけられており、それが聞き取れなかったようでパパの顔を見た。パパはその子の手を握りながら「プリンセスは特別なんだって」と言った。

ウッ……(セキュリティレベル1)

私の涙腺は入園前に相当痛めつけられた。そこへ夫が合流し「ねえさっき白雪姫のドレスの子いてかわいかったね」と言ったので、この会話を報告しちゃおうと思い「あのさ、その子に向かってパパがさぁ……」と話し始めたものの途中で落涙。

無念です。

だって朝一でそれだよ。あの子の今日絶対最高じゃん!!超楽しんでほしい。涙。

 

マジカルミュージックワールド

いつも泣くよ。どうせ泣くと思ってたんだろ?泣いたよ。

もはやなにがきっかけだったかも覚えてないよ。たしかプリンセス共演あたりだったような気がするよ。ついでにアースラで絶対泣く。

 

フィルハーマジック

私はフィルハーマジックオーケストラでグーフィーが与えられている役割がだ~い好き。ナレーションを任されたり、ドアを開けたり、席の案内をしたり、それらが楽しくてたまらないらしく「あと少しだぞう🎵」とか言いながらウロウロしており超愛おしい。BIG LOVE。

だから最後のナレーションまで絶対に聴きたくていつも会場にギリギリまで残る。

あれです。みんな好きなあの最高のやつ。

「みんな、来てくれてありがとう!フィルハーマジカルな一日を過ごしてねぇ!」

私がアトラクションを訪れたのは昼頃だったと思うが、ああ今日一日も絶対に魔法の力でハッピーだなと確信した。朝から見たいろんなものを思い出したりしてちょっと泣いた。

誤解しないでほしい、いつも泣くわけではないです。これは本当。大丈夫です。(なにが?)

 

エレクトリカルパレード・ドリームライツ

見るつもりはなかったのだ。

「夜のランドってなんでこんなにさみしい気持ちになるんだろうね」「子どもの頃の帰りたくないよ~みたいな気持ちが残ってるのかな」「こんな中でエレクトリカルパレードの曲なんて流れてきたら泣いちゃうよ」なんて言いあいながら夕飯を食べ、最後にチキルームに行った。(我々は魅惑のチキルームが大大大好きで「ビッグサンダーは諦めてもいいがチキには絶対に行きたい」と意見が一致していた)(我が家ではマヌの真似が一生流行っている)(ハウオリの真似も一生流行っている)

我々のほかに四人くらいしかゲストのいないチキルームで「いいよ~っ!!」「なりた~い!!」と絶叫し他のゲストを恐怖のどん底に陥れた私が大満足して外に出るとEパレが始まる三分前だった。

どうやらまだ座れるっぽい。ラッキー。見ちゃおう。

で、座った。

「こんな中でエレクトリカルパレードの曲なんて流れてきたら泣いちゃうよ」

と言った夫の言葉は見事なフラグとなったのである。

すぐにパレルが暗くなり、ドーン……とあの曲が流れ始め、電子のナレーションが入る。

ウッ

いやまだ大丈夫。自分いけます。

ブルーフェアリーが来て左右のゲストに「Welcome, Welcome.」と繰り返し微笑む。久しぶりに見たけどやっぱりめちゃくちゃ綺麗だ。私たちが座ったのはホースシュー前だったので、通り過ぎていくフロートがシンデレラ城と並ぶ。めちゃくちゃ綺麗。夢みたいだ。

大きくて立派な光の騎士がゆっくり通る。ゲストが手を振る。

私はさっきの話のせいか、これをはじめて見る子どもの気持ちを想像してしまっていた。家で絵本やBlu-rayで見ていたおとぎ話の妖精とか騎士とか、そういうものたちが、いま実体を持って目の前を通っていく。ほんとにいたんだ!みたいな気持ち、いいなあ。へとへとに遊び疲れた日の夜に、ちょっと眠くて、家族と座るレジャーシートの上でこれを見たら、あとから思い返したときに「あれって夢だったのかな」なんて思っちゃいそう。

おお、ちょっとグッと来てしまった。

そこへミッキーとミニーちゃんを乗せた光の汽車のフロートが来て、グーフィーが「いぇ~い!光のパレードだよ!最高~!(このセリフ一番好き)」と汽笛を鳴らそうとして紐を掴み損ねて笑い、ミニーちゃんが「なんて美しいのかしら!」と言い、ミッキーが「ドリームライツ!光の魔法だね」と言った。

もう私の涙腺はぶっ壊れてしまいまったく言うことを聞かず目から下が全部びちゃびちゃになった。

あとこれは泣きすぎてうろ覚えなんだけど「夢と光の魔法の国にようこそ」というようなことを言ってくれていたと思う。誰か台詞のリスト持ってない?

今日一日朝から今までずっと、ひとつひとつの大切な出来事とか目にしたかわいいものとかそういうこの場所にある尊いものが全部このフロートで掬い上げられたと思った。夢じゃないんだ。ミッキーマウス、パークホストとして世界最高。

夫が「お昼に白雪姫のアトラクションで泣いてた子も見たかなあ、これ」と呟いた。追い打ちかけるのやめてよ泣き止めなくなっちゃうじゃん。

私はディズニーリゾートに通い始めたころ病み上がりで夜まで外出が出来ず、エレクトリカルパレードファンタズミックも最初の頃はなかなか見られなかった。だからいまだにかなり特別感があるのかもしれない。

いや、それを抜きにしても、一日遊んだ夜のエレクトリカルパレード・ドリームライツは相当なパワーがある。夢と現実を限りなく近くまで引き寄せてまるで夢の続きであるように光で結んでくれる。それができるのはミッキーマウスであり、ディズニーキャラクターなんだなあ。

という激重感想で今回のインは幕を閉じた。

東京ディズニーランド、大好き。

 

番外編

泣きはしなかったが、とてもいい経験をしたのでこれも書いておきたい。

我々夫婦が魅惑のチキルームとカントリーベアシアターを偏愛しているのは周知の事実であるが、夕飯前にカンベアで壊れた猿のおもちゃのように手を叩きまくりバフの「さようなら~」までバッチリ聴いてルンルンで退室したら他のゲストはみんな帰ったあとだった。

カンベアのシアターを出たところは出演者の楽屋になっており、彼らの個性豊かな個室のドアが並び、賞やファンレターなんかが飾ってある。

ビッグ・アルに宛てられたファンレターを見つけ「見て!北京在住の四歳のパンダから手紙来てる」「かわいすぎて草」などと大はしゃぎしていると(はよ帰れ)、ツアーガイドのお姉さんが「気になるドアとかあればご紹介しますよ!」と声をかけてくれた。

一瞬「はよ出ろ」という声かけかと思ってビクっとしてしまったが、おそらく案内中のゲストがシアターに入っているのであろうお姉さんはカントリーベアシアターが好きなゲストを見つけられて本当に嬉しい、という旨のことを熱く語ってくれ、「いまやってる公演が終わるまではここ貸し切りですよ!お写真撮りましょう!楽屋ツアーしましょう」と激アツ提案をしてくれた。

この日、スナップフォトを撮ってくれるカメキャスさんにうまいこと出会えなかったので、残念だけどツーショは諦めるか~と思っていた。そこへまさかの最高の提案。嬉しいです!!!と全力で乗った。

 

お姉さんはたくさんポーズを提案してくれ、何度も「かわいい!」「すてき!」「楽しい!」と言い、もしかして、あの……期間限定のバージョンもお好きだったり……?と絶妙に控えめに聞いてくれて、私が「はい!ジングルベルジャンボリーでアーネストのバイオリンがかっこいいって聞いてから気になっちゃって、それからどんどん全員のファンになりました」とオタク長文で答えるとめちゃめちゃ嬉しそうに目をキラキラさせて「本当にお好きなんですね……!!」と喜んでくれた。こりゃかわいすぎるな。

ゴーマーの楽屋のドアをノックしてみたり、テディ・バラの楽屋を見上げてみたり。そこへカンベアのキャストさんが通って「あ、ヘンリー楽屋に戻ってきてます?」と訊いてくれたり、嘘みたいに楽しかった。

最後にお礼を言い、ガーランドの「ありがとう」カードを差し上げた。

このカード、貰いはしたものの、渡すタイミングがわからずずっと持っていたので、ここぞというタイミングで渡すことができてとても嬉しかった。

お姉さんからもお返しでガーランドのシールを貰った。

「Have a magical Day!」と書いてある。

 

やっぱグーフィーが言ったとおり、フィルハーマジカルな一日になったなあ。