夏がどこかへ行った。
いつもこうだ。
秋
秋が来た。また急に来たね。
いつも感じるが、秋になった瞬間、空が高くなる。
高くなるっていうか、遠くなるっていうか、ねえ。
暑すぎる夏の空は色が濃くてのしかかるように重い。空が近い。後頭部にめり込んで頬まで触れる。目を合わせないよう俯いて早足に歩く私の背中にもたれかかり絡みつくように「ねえ、暑いね」と迫ってくる。
それが急にふっと、重みを失って、遠く手が届かないところまで行ってしまったように思う。
スピッツの「夏が終わる」という歌を必ず思い出す。
またひとつ夏が終わる 音もたてずに
暑すぎた夏が終わる 音もたてずに
深く潜ってたのに
遠くまでうろこ雲 続く
彼はもう 涼しげな襟元をすり抜ける
ほっとする一方で、いつも少し寂しさがある。
秋が来たなというより、夏が行ってしまったな、と思う。
勘違いしないでよね。
べつにあんたのことなんか好きじゃないんだからね。
花壇のこと
秋が来たので、チューリップの球根を買った。
あとパンジーの種も買った。植えるのが楽しみ。
オクラは元気を失い始めており、この雨でそろそろ店じまいの予感がしている。
夏の終わりに剪定したバラはハチャメチャ元気に枝を伸ばし、秋のつぼみをたくさんつけているので、そのうちすごいことになりそうでワクワクしています。
幻影の時代
こんど結婚記念日に合わせて久しぶりに旅行することになり、なにをしようかという話をしているときにふと「いまってメディアで先にいい景色とか珍しい風習とか写真映えするスポットを見ていて、それの答え合わせみたいに観光する人が多いって聞いた」と言うと、夕飯を食べながらこともなげに「ああ、ブーアスティンね」と言われてキャ~~~~~!!!!になった。
私は賢い人間が好きである。
恥ずかしながら私は本当になにも知らなかったので、ねえねえ誰それなにした人!?!?!?と迫って教えてもらったばかりの知識で失礼するが、ダニエル・ブーアスティンの『幻影の時代』という書籍については、観光について勉強するとき必ず触れるものなのだという。
なるほど、人文の学生が絶対に柳田國男を知っているみたいなもんか。
いや、そういう私のまったく知らないことを当然のごとく知っている側面を、もっとぐいぐい出してはもらえないだろうか。私の知らないことを常識として知っている人、いい。とてもいい。
私は賢い人間が好きなのである。