さざなみプロダクション

さざなみプロダクションの平社員による日記

弦間雪臣のこと

私が雪臣を最初に見たのは夜空を見上げたときだった。

 

もともと、そういうキャラクターを作ったら面白いんじゃないかと思って、概要は考えたことがあった。当時まだ顔も名前もなかったけれど、存在だけは意識していた。

実在のアイドル文化というものを知ったばかりの私は、アイドル同士がSNSやコンサートのMCで披露する仲良しアピールがめちゃくちゃかわいいことに衝撃を受けた。私が創ったアイドルグループにはない「あざとさ」というか、ビジネスとしての愛くるしさ。それは本来の友情や疑似恋愛とはちょっと違う、安心して鑑賞することができるエンタメだった。

これはすごい。

そこで、キュート系の男性アイドルで、唯純と共演したことがあって、いずみくん大好き!インスタ載せていい?って感じのちょっとワガママな子がいたら面白いんじゃないかな~とぼんやり想定していた。僕ってかわいいでしょ?みたいなタイプ、私には新鮮でいいかもしれない。ちょっとワガママな子はさざなみプロダクションで扱いきれないので、他事務所くんにしよう。

そこまでは考えていたけれど、まあ、私はそういうタイプの子をあんまり愛したことがなく、扱い方がわからないし、そもそも未知の文化すぎてキャラクターが掴めないのでしばらく放置していた。他事務所くんというポジションからもわかるとおり、当然あの世界にはそういう子も居るだろうけど、私には見えない。そういう感じ。

 

そんなある日、寒い日だったと思うが、帰宅して家の前でふと空を見た。

住宅街の夜空、お向かいさんの家の屋根の上、月に雲がかかっていた。

ほぼ満月で、雲がなければ結構な月夜だ。

後ろから照らされると雲の厚みがよくわかるなあ、と思ったとき、男の子の後ろ姿が見えた。こげ茶のマッシュショートの男の子が振り返る直前くらいの、ちょうど顔が見えない角度だった。

うわっあの子だ!

と思った。

顔も見えていないのに不思議だけど、そのときは直感した。私のところへ来たのだ。

じゃあ描くか……(しぶしぶ)(しぶしぶ描くな)

そこで、描いた。アイドル前髪でたれ目でキュッとアイラインが濃い、童顔の男の子。当然メンカラーはピンク。おお、かわいい。

せっかくなら名前をつけてあげよう。きっかけがきっかけなので、最初はやっぱり「月」がつく名前がいいなと思ったけれど、まったくうまくいかなかった。本当に一個も思いつかなかった。そのうち「~おみ」って響きが似合う気がしてきて、「○臣」までは決まったのに、それ以降がまったく思いつかなかった。

大体そういうときの私は漢字辞典を見る。

「間」という字は門の隙間から見える月を表しているらしい、という情報を得て、じゃあもうそれしかないじゃんとなった。ついでに「弦」は弓なりの三日月をイメージした。私が見た雪臣はたしかに満月だったが、まあこれくらいの誤差は許してほしい。

弦間雪臣。つよそう。武将っぽい。

本人は絶対に気に入っていないだろうな。

こうして私が月影に見た男の子は姿かたちと名前を得たのである。

 

創ったはいいが、雪臣は動かなかった。

私の中に雪臣に共鳴するところがなく、動かし方がわからなかった。彼が「僕ってかわいいでしょ?」というときの気持ちが、私にはまったく理解できなかった。なんでそんなこと言うの?どういう回答が理想?当然かわいいよと返ってくる質問をなんで飽きずに繰り返すの?ということが、ひとつも解らなかった。

そもそもどうして雪臣は唯純が好きなんだろう。アイドルとしてライバル視するならまだわかるけど。誰かの特別になりたかった?いや、それは瑞稀が先にもう言った。

そんなことを考えていたある日の通勤中、歩いている私に雪臣がいきなり「遅いってなに!?」と叫んだ。

かわいい顔が台無し。

あーもう。最悪だ。

 

雪臣はたったひとりになりたいのだという。

特別なアイドルになりたい?もう二年前に瑞稀が言った。もう遅いよそんなの、って、言われるのが許せないんだって。

この世界に山ほどいる人間の中で『特別』の座を勝ち取りたい瑞稀と、この世界でたったひとりになりたい雪臣は、似ているようで全然違う。そう思うと、これまで「特別になりたい」と言ったであろうすべてのアイドルに単身で宣戦布告する瑞稀は相当な根性があるなあ。他者の存在を容認するパワーがある。

 

私は雪臣を救うことができない。

ので、書くつもりはない。慧斗を作ったときと同じで、そういう人っているからなぁと思っている。でも慧斗を作ったときと同じで、勝手に怒り出す大也みたいなやつとかがいたら、話が展開するかもしれない。

大也みたいなやつなんかそうそういない。

世界にたったひとりかもしれない。

うーん、また雪臣が怒りそうだなあ。

クレラップにした話

ジャムはどうしてもアヲハタがいい。

学生時代、友達にそう言われたときは「へぇ」と思った。

いまでは私もそう思っている。

アヲハタじゃなくてもいいのかもしれないし、ほかにももっと美味しいジャムがあるのだろうけど、まあ一旦『大手メーカーが作っている底値じゃないジャム』としてアヲハタをキーワードにさせてくれ。

 

一人暮らしをはじめると大抵の人が気づくんじゃないだろうか。

実家の調味料っていいやつ使ってたんだなあって。

キッコーマンとかキユーピーの調味料をスーパーでみるとき、必ず近くにもっと安いものがある。

知らないメーカーとか、プライベートブランドとか山ほどある。

実家の冷蔵庫にあったマヨネーズは、そのなかから選んで買われていたんだなあと思う。

私は一人暮らしをはじめたとき十八歳だったので、まあ、安いものでいいかと思ってそういうのを買っていた。使いはじめるとそれほど違和感もない。

で、あるとき底値じゃないマヨネーズとか食パンを気まぐれで買って気づいてしまうのだ。

な、なんかめちゃくちゃ美味い……

多くの人はそこで『実家の調味料』に戻るんじゃないだろうか。高級品とは言わないまでも、やはり大手が作ったそこそこの値段のものは美味い。

 

私はいつか娘が生まれたら「安いジャム使ってる男とはつきあうな」と言うつもりだ、と冗談でよく言う。

これは半分本気で、ケチだからとか味覚のセンスがとかいうわけではなくて、つまんないからだ。

いや、そのジャムが好きで使ってるとしたら「味覚のセンスが合わない」だけなんだけど、たぶん大抵の場合はたいしたこだわりもなく安いジャムを買っている。

じゃあつまんないじゃん。

私が十八歳でやめたやつじゃん。

(個人の意見ですごめんね)

 

ところで。

私が味のしない食パン(安すぎる食パンは本当に味がしない)を食べている十八歳のピチピチ一人暮らしだったときから、ずっとラップだけは安いのを避けていた。

あの、めちゃめちゃ安いラップあるでしょ。100均で売ってるやつ。美容室で仕上げに巻かれるやつ。サークルの部室で冷蔵庫のそばにあるやつ。

あれがどうしても嫌いだった。

ぜんぜん切れねえから。

で、いいラップというと、だいたいサランラップクレラップになる。

これは私のドラッグストア感覚だが、クレラップが一番高いよね。サランラップのほうが数十円安い。

なので私は10年以上サランラップを買っていた。

べつにいいやつ使いたいわけじゃないけど、使うストレスがないくらいのレベルがいい、と思うと、ドラストで二番目の価格のサランラップになったというわけ。

 

つい最近夫に言われた。

クレラップにしない?」と。

おやおやどうした、と聞いてみると、クレラップは紙刃を採用しているからだという。

サランラップの刃は金属だから分別して捨てるの大変なんだって。

「数十円でいいなら捨てるストレスがない方にしようよ」

と言われ、私はなんか超嬉しくて早速クレラップにした。

私は普段ごみ捨て(=家庭内からごみを集める作業)をしない人間なのでそういう理由は思いつきもしなかったが、たしかに数十円で快適が買えるなら安い。

私もそう思う!!!!!!

数十円の差で快適を買い続けた先に、実家の調味料があるのだろう。

わかった。がんばって稼ぐわ。

 

ところでそんな素敵な提案をしてくる夫は一方で「なんか勿体ないから」といきなり食事を抜いたりするので油断ならない。

未来の娘よ、数百円をケチって朝食を抜く男とつきあうんじゃない。

心配だからだ。

今朝がた見た夢

夢の中で私はおそらく若い男だった。

ダムのような崖のようなカーブの道に若い男女が腕を組んで、崖下を見下ろすように立っていて、私はなぜかその男が50代の女性をはねたひき逃げ犯だということを知っており、その女が被害女性の娘で、復讐するためにその男に近づき婚約者になったことまで知っていた。

知っていたが、なにをするわけでもなく、ただ知っていた。

復讐のためとはいえそんなに憎い男とつきあってるふりができるなんて、女ってやつはよくわからないなと思った覚えがある。

 

三人でがけ崩れかなにかに見舞われて洞窟のようなところに閉じ込められた。男は足に怪我をしたようで、私は「ああなるほど、ここで復讐を遂げるというストーリーか」と思ったが、女は意外にも手際よく助けて甲斐甲斐しく世話をしていた。

ほう。助けるんだ。

 

なんとか脱出し、私たちはまた別の崖の上にいた。

これは夢クオリティだが、景色はほとんどプロメテウス火山。崖の底に向かってセンターオブジアースが走り下りていくたびに歓声と悲鳴と轟音がする。

怪我をした男は車いすに乗り、女がそれを押していた。

また一台、客を乗せて落ちていくなあ、と思った瞬間、女がぽいと車いすを放った。

うっかり風船を手放すような素早さで車いすを崖下へ突き落とし、男を乗せた車いすはジェットコースターを追いかけていき、歓声と悲鳴と轟音で落ちた音は聞こえなかった。

「へ」

と私が言った。

最初から女がそういうつもりだと知っていたしそうなることはわかっていたのに、なぜかとてもびっくりした。

女を止めるつもりも責めるつもりもなかったが、とてもびっくりした。

女の顔はまったくの無表情だった。嬉しくも悲しくもなく怒ってもいない顔で、彼女は私の隣へきて腕を組み、静かな声で「行きましょう」と言った。

「黒鉄の魚影」

名探偵コナン「黒鉄の魚影(サブマリン)」を観た。

ご存じのとおり映画が苦手人間の私、子どもの頃にコナンは結構好きで見ていたが最近ほとんど追っておらず、今回は主題歌に背中を押されて映画館へ行った。

そう、主題歌である。

私は20年近くスピッツのファンとして生きており、朝ドラの主題歌になったときも「うんうん」と思っていたが、今回コナンの主題歌に決まったときはさすがに相当びっくりした。え、コナンの主題歌ってB'zとZARDじゃないの!?(年齢がバレる)

 

名探偵コナン」の知識

前述のとおり私はB'zがよく主題歌を務めている時代に小学生くらいの年齢で、コナンのアニメはVHS(!!!)をレンタルしてきてはよく見ていた。当時は今ほどキャラクターも多くなく、服部とかキッドとかそのへんのキャラクターが活躍していた記憶がある。

だんだん成長してアニメを離れ、黒の組織に美男美女がたくさん増え、私はあまりコナンのことがよくわからん大人になっていた。どうやら安室さんというすごい男前がいるらしいというくらいの知識しかなかった。

で!

今回の主題歌である。これはさすがに観にいこうかなと思っているうちに友達が鑑賞し、とりあえず信用できる大人はこの人とこの人、という知識(やっぱ安室さんはいい人らしい)だけを与えられ「まあとりあえず大丈夫だから観にいけ」と言われてさっさとチケットを取った。

コナンを映画館で観るのはおそらく『ベイカー街の亡霊』以来だ。

 

なんかすごい泣いた

なんかすごい泣いた。

この辺から映画の内容に触れるのでネタバレを気にされる方はご注意ください。

と言っても、この映画で「誰が犯人か!?」っていうことは私にとってそんなに重要ではなかったのだが。

 

いきます。

 

灰原哀さん。

私が小学生のころ、灰原哀は大人だった。

少年探偵団の子どもたちがまだ見たことのない世界の汚さを知っている、諦めた大人のお姉さんだった。そんな冷淡にすら思える態度と、あどけない見た目と、少年たちへの言葉に見え隠れするやさしさのいわゆる「クーデレ」みたいなところが魅力なんだろうとも思っていた。

そんな私、大人になってはじめて灰原哀ちゃんとまっすぐ向き合ってみて、彼女がひとりの女の子であることをしっかり実感してしまい、序盤からずっとうっすら涙目。

かわいすぎるけなげすぎるいじらしすぎる。

だって実年齢18歳だってよ。

全然大人じゃないじゃん。

見た目は子供、頭脳は大人』なんて、もともとそうじゃん。

この作品の面白いところである、小学生の見た目になったけど賢い!っていうポイントより、そもそも身体が縮まなくたって工藤新一も宮野志保もまだ17歳とか18歳の「子ども」なのに、っていう気持ちになった。

もともと『頭脳は大人』は『賢さ』という意味なのだろう。

工藤新一は、まあそうだろう。そういうキャラクターだ。スポーツもできてかっこいいし賢いけど性格は結構悪ガキで、年相応に幼馴染にちょっかいをかける描写があったように記憶している。

野志保は、当然賢くもあるだろうけれど、同時に『大人のような諦観がある』と思った。まだ18歳なのになあ。

だから私は哀ちゃんが攫われるシーン、コナンや蘭や博士が必死に追いかける顔を見てなんか泣いた。そうだよ守ってやってくれよみんなでさあ……。この顔、哀ちゃんに見せてあげたいと思ったよ。私がそうだからわかるんだけど、自分が周りにどんなに大切にされてるかって、わかってるつもりで「ありがとう」なんて言いながら、本心のところで気づいてないんだよね。

 

灰原哀さん。

少女の不安と大人の諦観が入り混じった18歳の女性だった。

クライマックスでコナンを追って海中まで必死に助けにきてくれるところ、母性に近い大人っぽさを感じたし、でも(救護のためであっても)口づけたことを彼の「恋人」に対して「返そう」としてしまうところに少女らしさを感じてもう居ても立ってもいられなかったよ。

いじらしすぎるだろ。

ここに信頼がある。

家族より公でなく、恋人よりも触れ合わない、そのどれよりも命に近い、秘密を守りあう信頼関係があった。

 

スピッツ「美しい鰭」

ずっとべそべそしていた私、なんとラストシーンを見るころには主題歌がスピッツであることを忘れていた。ふざけるな。

90分くらいかけてすっかり灰原哀ちゃんに感情移入している私の耳に聴こえてくる『美しい鰭』のイントロ。私はこの曲がリリースされてから今日までに103回再生しており(本日時点のApple Musicくんの自己申告であるが気分的には倍くらい聴いてる)、この私がこの曲のイントロを聴き逃すわけなどないのだ。

イントロ三音ですべてを思い出した。

もはや暗記している歌詞を一瞬で全部思い出した。

歌い始める前に大号泣。歌い始めて号泣。サビでさらに号泣。

隣の席の女の子がチラッと私を見た。ごめんね。

この曲すごくないですか?

灰原哀のこと好きな人が書いたでしょ。

これは公開された当初からあまりの出来の良さに「草野マサムネ灰原哀のファンだろ」と冗談交じりに噂されていたのだが、本当にそうかもしれないと思ってしまった。いや、たとえファンじゃなかったとしても、少なくとも彼があの作品で一番感情移入するのは哀ちゃんだろう。なぜなら私がそうだからだ。

スピッツ聴くやつは哀ちゃんの気持ちが刺さってしまうんだよ。(オタク特有のデカ主語)

 

かつて蘭のことを『人気者のイルカ』、自分を『暗い海から逃げてきた意地悪なサメ』と例えた灰原哀。だからとうてい敵わないのだと言う18歳の女の子。

このセリフはあまりに有名で、私ですらうっすら知っていた。

そこへきてこの『美しい鰭』という主題歌はあまりにも、あまりにもである。

美しい鰭。

さみしさと痛みと夜を耐え忍び、大きなものに抗って、いままさに海に泳ぎ出そうとする力強い鰭を「美しい」のだという。

 

暗い海から星が光る空へ浮上していくラストシーンは美しかったですね。

恋愛に拠らない愛情の交換があった。

「秘密守ってくれてありがとうね」であった。

 

強がるポーズは そういつまでも

続けられない わかってるけれど

優しくなった世界をまだ 描いていきたいから

 

おまけ

ところで黒の組織のひとたち、うっかりさんじゃないですか?

私は久しぶりに見たんですけどウォッカってこんなにうっかり八兵衛だったっけ?ジンもだけど、ちょっとかわいいなとすら思ってしまいましたわ。

「ぼくらのサバイバルウォーズ」

「ぼくらのサバイバルウォーズ」を観た。

映画が苦手人間の私であるが、完全に『かわいい男の子がいっぱい出るから観た』。ちなみに映画館に観に行こう!と思って調べたときにはすでに公開が終了しており大変悔しい思いをした。

 

◆観たかったもの

『かわいい男の子』につられていた私は、ストーリー及び演技力等をまったく重視しておらず最低の客であったといえる。レビューサイトの「演技がイマイチだけどダンスが上手い」みたいな感想を見てわくわくしていた(最低)。

とにかくかわいい男の子たちがいっぱい出演し、ボーイスカウトのグループ同士で競い合ったりするらしい。かわいい。物語を追うというよりは、ショーを観るくらいの気持ちだった。

 

しかし案外ストーリーが刺さったので大変だった。

という感想です。

ここからネタバレ入ります。

 

◆関係性について

まず主人公は転校生の宙くん。ちょっと気弱で運動も苦手、前の学校ではうまくやれなかったみたい。

そんな主人公を勧誘するボーイスカウトチーム(西軍)のリーダーは虎之介くん。天真爛漫で、彼を含むこのチームは和気藹々としており運動部でいうところのエンジョイ勢って感じがする。

一方そんな西軍を窘めライバル視する東軍のリーダー、龍一郎くん。オールバックで真面目なエリートの雰囲気、チームでの練習もビシビシ指導して規律を重んじるタイプ。

そしてボーイスカウトを目の敵にする不良チームの一人、和馬くん。どうやら三人は昔からの知り合いらしい。

……というところで、主人公の加入を巡って(?)チームの存続を賭けて山にある廃墟までのフィールド対決が行われることになる。

ちなみにここまで顔が全員めちゃくちゃ可愛い。やったー!

 

お察しのとおり、この時点で私は無邪気に笑う虎之介を警戒していなかったのだ。

愚かな。

 

中盤に語られた過去のエピソードを観て私はひっくり返った。

要するに虎之介、龍一郎、和馬の三人はボーイスカウトの仲間だったが、虎之介が語るところによると「あまりうまくできない和馬」に厳しく接する龍一郎に、虎之介が「やめろ!可哀想だろ」とかばって言い返した。自分のことで揉める龍一郎と虎之介を見た和馬は大丈夫だと言って無理した結果、怪我をしてボーイスカウトを退団し不良チームに入った……ということらしい。

マジで?

ひどくない?

和馬の気持ち考えたことある!?

 

私は思った。

こいつ、上原唯純だ。

めっちゃ好き!!!

 

のんきに笑って「俺は龍一郎みたいにしっかりできないから」くらいのことを言っている虎之介、おまえ、おまえ!

私は虎之介にいかにもひどい奴だみたいな口調で「おいやめろ!」と言われた龍一郎の気持ちと、「可哀想だ」と言われた和馬の気持ちを同時にがっつり受け止めてしまい年末に寝込んだ。私が和馬だったら失踪する。可哀想ってなんだ。

しかしここでしっかりと宙が「(運動が出来なくてからかわれたとき)可哀想って言われたのがいちばんつらかった」という話で釘を刺してくれて安心した。聞いてるか虎之介。できるやつにはできないやつの気持ちがわからんのだ。

 

なんか怒っちゃった。ごめんね。

 

このあとストーリーにはもう一波あって「おいおいうそだろ」の展開もあったがとりあえず私のピークはこの中盤であった。虎之介があまりにもストライクでびっくりした。龍一郎がずっと真面目で凛々しく、ピンチの際は年相応に怯えたりする様子はものすごくけなげに見えて可愛くて、ああ龍一郎を推したい!という気持ちはあるのだが、いかんせん、私は無自覚の天才に弱い。もう魂を盗られた。

 

友達に薦めるときにも

「斗亜ちゃんが上原唯純なんだよ、観て」

と言った。

(※斗亜ちゃん=虎之介役の島﨑斗亜くん)

 

わかりやすいですね。

そういうことです。

「あの星の名前を」によせて

「あの星の名前を」という短編小説を半年かけて書いたのでその話をします。

 

◆最初に

唯純が自分の名前にコンプレックスを持っていたかもしれないと気づいたのは去年の冬だった。

 

次はどんな本を出そうと考えたときに、唯純をとりまく人たちの目線でかわるがわる唯純の話をする「上原唯純のこと」というオムニバスはどうだろうと思いついた。唯純は自分で喋るよりも、まわりの人が語ったほうがわかることが多そう。

生まれたときから唯純を見守り、事務所に履歴書を送った姉。

送られてきた履歴書の山の中から唯純を見出したプロデューサー。

あと、北条星空。

私はこれまで長編のなかの一章として「いずみとせいら」をたくさん書いてきたが、たとえば瑞稀と唯純の関係を描くとか、ESTre:am結成直前とか、大きな流れの一部で、お互いを励ましあうやりとりばかりで、あのふたりの関係だけにフォーカスしたものはなかった。

星空が唯純に強い気持ちを持っているのはわかっていた。だって唯純だもの。瑞稀がそうであるように、意志を持ってステージに上がる人にとって唯純は脅威だろう。でも唯純から星空への気持ちが全然見えてこなくていつも「かわいそうだから考えるのやめよう」となっていた。なんか、星空の片思いみたいでいやだった。

 

改めて唯純と星空の関係を描こうと思ったとき、星空が急に言った。

「いずみって、ぼくのことだけ名前で呼ぶよね」

あれ、ほんとだね!!!!

 

そこで去年の冬、私は考え始めた。なんで?

正直『みっくん』は事故だった。うっかり勝手に呼び始めたので止められなかった。『慧ちゃん』は、私がそう呼びたかったから代わりに呼んでもらった。慧斗は『慧』の文字を抱えて生まれてきた男の子だからだ。唯純が大也を『大ちゃん』って呼ぼうとして嫌がられてやめたというエピソードは、ちょっと面白いかなと思ってつけた設定だった。小さい兄ちゃんに親しみと甘える気持ちを持って、だいちゃん。大ちゃんって言うな!

でも星空をあだ名で呼ぼうと思ったことがなかった。

なんで?

 

星空は『星空』って名前のために生まれてきた男の子だからだな。と思った。

もうそれがあだ名みたいなもんっていうか、『ほしぞら』が彼の本名であり芸名であり愛称であり肩書である。あの容姿と生い立ちと性格すべてが『星空』すぎる。あだ名をつける余地がない!なるほど!

 

じゃあそれを唯純の言葉で説明しないといけない(これが一番大変な作業)。どう唯純、喋れそう?

私の難しいオーダーを受けて唯純くんは言った。

「唯純って名前はね、いまは気に入ってるんだけど」

私は思った。これは長くなる。

 

このとき、たしか十二月だった。

 

◆気づいてしまった

私は唯純と誰かの会話を書くとき、唯純の台詞だけ先に書き出すことが多い。唯純は順番どおりに喋らないからだ。メモ帳にぽつぽつ増えていく唯純の台詞。美人のお姉ちゃんと三人セットみたいで、かわいい女の子みたいに見える名前で、自分はどこからどう見ても男の子で、名前を呼ばれて返事をしたときの相手のちょっとびっくりした顔、ああ。

ああ…………。

 

私はメチャクチャくじけた。

そうだったんだ……

世界一きみに似合う名前だと思ってたのに。

でもわかる。名前のコンプレックスは、悔しいことに、私には、よくわかる。

 

ショックで一回書くのをやめた。

自分をごまかすために「広報もりくぼの日記」とか書いて遊んでた。

三月に一度友人(星空担)と会い、そこでこの話を少しした記憶がある。

「いずみってね、あの、自分の名前が、その、ちょっと、似合わないなって思ってたみたいで、あのー、嫌になって、書くのやめちゃった」

唯純くらいたどたどしい語り口から私のダメージを察してほしい。

ショック受けすぎてて草。

 

◆気を取り直した

昨日六カ月ぶりにその原稿を見つけて、けっこう書けているのに勿体ないなと思って、手直しを始めた。去年の私、唯純の話ばっかりしてしまった。落ち着いて、今度は星空のことを書こう。

私は実は会話シーンで出てくる星空の相槌がとても好きだ。照れ屋なのにやさしいから。

とくに褒められたときの、

「そう?ミズキに言われると自信ついちゃうな」

「まあ……当時はね?」

とか。

否定はせず、突っぱねることはなく、ちょっと照れ隠しが滲んでいて可愛いと思う。

 

そんなこんなで星空に優しく相槌を打ってもらい、唯純はなんとか喋り切った。よかった、ありがとう。美しい自分の名前にほんの少し居心地の悪さを覚えていたこと、テレビで名前ぴったりの天使を見たこと、だからきっといまもその名前で呼びたいんだってことを、ちゃんと喋り切れてえらい。

余談だが星空は唯純と喋るとき「彼の向かおうとしている先を邪魔しない」のがマナーだと思っていて、慧斗は「そのストーリーを追うのではなく彼の声と表情を楽しむのがポイントだ」と思っている(「わざとらしく声を潜めて」参照)。慧斗のズルさがお分かりいただけるだろうか。そう、慧斗は唯純の話をあんまり聞いてない。

 

ところで、自分と自分の名前があってないんじゃないかって思ってるときに、偶然美しい名前にぴったりの美しい存在を見て、「羨ましい」じゃなくて「嬉しい」と思った唯純は優しい子だなと思う。私だったら妬む気持ちが最初にきて「なんでこうなれなかったんだ私は」と思っちゃうかもしれない。

そこは唯純の愛されの素質であり、彼が根っからの『唯純』なんだなと思うポイントかな。星空も言っているが『唯一無二』で『純粋』なんだよ、唯純。自分では似合わないと思ったかもしれないが、いまの唯純は間違いなく唯純だ。

 

◆唯純と名前たち

書き上げてから気づいたけれど、いままで書いた作品を思い返してみても、唯純はけっこう人の名前を気にしていることが分かった。

瑞稀の初登場シーンで、緊張する瑞稀に「鏡見て、みっくんが一番かっこいいでしょ」「稀ってやつだね、ほんとに」と言う。これは瑞稀の名前を紹介したくて入れたつもりの台詞だったが、いま思えば、本当にいま思えば、唯純は瑞稀の『瑞』『稀』なところにグッときていたのだろう。じゃあみっくんって誰よ(一生言う)。

「あかつきのきら星」で、沈んでいる星空を励まそうとして出てきたのが「夜空の星の話」だったのも、いま思えば、『星空』の名前が好きだったのだろう。

 

あとなにがあるかな。まだありそうですね。思いついたら教えて。

 

◆最後に

好きな台詞を抜粋して終わろう。

 

「それがちょっと、えっと、いやじゃないけど、めんどくさいっていうか、あのー、気まずいなあって思っててさ」

あの上原唯純がはじめて口に出すマイナスの感情。

負の感情を言葉にするのがへたくそすぎる。育ちがいい。ほんとうにかわいい。うまく言えないにもほどがあるだろ。いやじゃないんだよね、わかる。気まずくて、ちょっとだけめんどくさい。ああわかる!

 

「慧ちゃんは『慧ちゃん』って顔してるし、大也も『大ちゃん』って顔してるし、みっくんは、うーん、だんだん『みっくん』の顔になってきたよね!」

自覚あったんかい。(一生言う)

瑞稀が『みっくん』の顔してないこと、唯純も気づいてたよな。そりゃそうだよな。でも呼び続けたら『みっくん』の顔になってきてるのはさすがに唯純が強すぎて怖いよ僕。

 

なんにでも名前をつけちゃう上原唯純が、唯一名前を付けられなかったもの。最初から(唯純にとって)正しい名前がついていた北条星空。いや、唯純のことだから、実は心の中でひそかに指さして「北条星空」と改めて名付けたのかもしれない。

 

あの!!これは言っておきたいんだけど!

私はあの子たち全員に「正しい名前」がついてると信じていますよ!!!

 

ただ、上原唯純という男の子からしたら、彼だけが自分の『唯』『純』さに気づいていないから、違和感を抱えていたのかもしれない。俺ってそんな……?って。まあ気づかないところが『唯純』だよな。羽柴朝日のちょっとした誕生日コンプレックスもそうだったけど、まわりからはどうってことないものでも、本人にしかわからない居心地の悪さってある。そんなちいさな違和感やささくれを包み込んで美しい北条星空くん、マジで天使。ハピネス。

 

あの上原唯純にもかつては人間らしいコンプレックスがあり、天使に救われた経験があるかもなと思った。

 

そんなこの短編の仮タイトルは「星を指さす」でした。

美しい星をまっすぐ指さす正しさに救われる唯純と、こちらをまっすぐに指さす純粋なまなざしに救われる星空。けっこういい関係が築けたんじゃない?と私は自画自賛したのである。

「メタモルフォーゼの縁側」

「メタモルフォーゼの縁側」を観に行った。

きっかけは好きなアイドルが出演していたことだった。

なんと芦田愛菜さん演じる主人公の幼馴染役!おいしい役どころ。告知インタビューのやりとりもかわいらしいし、売り出し中のアイドルにとって理想的とも言える役をもらって頑張っている姿を見て、これは応援しなくてはと思った。

男性アイドルが出る映画ってどうしてもティーンのラブストーリーが多くて(そりゃそうなんだろうが)、私は映画ドラマが苦手なタイプなのでどんなに好きな子が出演していてもわざわざ映画館に行こうと思うことは滅多にない。

でもこれは面白そうと思った。

若いイケメンとの恋愛に拠らない人生の物語、面白そう。主人公は愛菜ちゃんだしクオリティは間違いない。私は芦田愛菜さんが好きだ。利発でかわいいので。

 

で、昨日バカ泣きして帰ってきた。

予告でも「最初の青春と最後の青春」みたいに煽られていることから少女と老婦人の「年の差の友情」物語か~なるほどね、と思っていたらとんでもない、ものづくり人間の人生再現ドラマであった。私は芦田愛菜さんの小さい背中に自分を重ね合わせてさんざん泣かされた。

まだうまく言えない。よかったところを言おうと思う。

ネタバレというかもはや覚えているストーリーを詳細に喋るので注意してください。

 

・高橋恭平くんがかっこいい

高橋恭平くん演じる「紡」がめちゃくちゃかっこいい。

主人公うららと同じ団地に住む幼馴染で、たまに漫画を読みに家に遊びに来て、背が高くて顔が超かっこよくて主人公に優しく偏見を持たない。これは男女問わず全オタクが思うだろう、「なんで俺には紡がいねえんだよ」と。諦めろあんなのラムちゃんくらいファンタジーだよ。

紡、顔がやたらとかっこいいのはともかく、最初から最後まで超いいやつなのだ。本当に超いいやつ。ずっといいやつ。好感度うなぎのぼり。

初登場シーン、クラスでも地味なタイプのうららがプリントの落書きを慌てて消そうとしているところに「どんくさいなあ、貸して」って言いながら世界一かっこいい男の子が登場してひっくり返った。ちょっと笑った。かっこよくて草。

紡は他のクラスに堂々と入ってきて気楽にふるまえるくらいの「陽キャ」で、うららとの対比が眩しい。うららの挙動が身に覚えのあるタイプはちょっと苦しくなっちゃうこと請け合い。そんなイケメン陽キャのいいやつなので、紡はクラスで一番かわいいエリちゃんと付き合ってる。そりゃそうだわ。ああ、エリちゃんを見るうららの視線も、身に覚えがあるんだよなあ。

 

・生まれてはじめて「ものをつくる」姿

これが本当にいい。本当にいい。

イベントに申し込むときの勢いと戸惑いと不安、印刷所の当てと締切が決まったときの「本当にもう書くしかないんだ」の気持ち、進むカレンダーと机に向かう背中、「これを本にして人に売る?正気か?」の独り言、「漫画描くの楽しい?」って訊かれて「うーん楽しくはないです」の答え、脱稿した帰り道に呟いた「楽しかった」、身に覚えしかない。

私は図々しくも芦田愛菜さんの美しく若く華奢な身体に過去の自分を重ねてボロボロ泣いた。

一番涙が溢れて止まらなかったのは完成した本の包みを開けるシーンだった。

緊張しながら息を止めてガムテープを剥がすしぐさ、現れた本の表紙をさらりと撫でる指先、完全にあれはどこからどう見ても二年前の私だった。

「きれい」と呟いた二年前の私がいた。

いや、絶対ここじゃない!ここはまだ一番の泣き所じゃない!と理性では思いながら涙が止まらなかった。鼻水もめっちゃ出た。

大女優・芦田愛菜さんが丁寧に再現してくれた「生まれてはじめて本をつくった私」に心臓を揺さぶられまくって赤ちゃんみたいに泣いた。

 

・雪さんとの友情

これはもちろん言うまでもなくこの映画の主題であろう。私はもうけっこう大人の部類なので、雪さんの目線も理解できる。縁側で一生懸命絵を描くうららの後ろ姿に少女時代の自分を重ねる雪さんのうれしさ、わかる。私もそう。若い子ってかわいい。

縁側に座ってお茶を飲んでカレーを食べて漫画の感想を言い合う、あの場所からふたりにとっての世界が開けていく気がして「本当によかったなあ」と思った。出会う人に出会えてよかった。

雪さんの屈託のなさというか、はじめて触れた漫画を素直に受け止めて「応援したくなっちゃう」と表現する少女らしい心とか、若い友人の将来に喜びを見る優しさ、押しつけがましくなく、とはいえ大人としてまだ少女のうららを見守る気持ちとか、すごく素敵なできた人だなと思うし、うららは雪さんに出会えたから雪さんと離れても生きていけるんだろうな。

「こんな素晴らしい漫画を描いたのよ、情けないことがあるの?」ってそんなこと言われたらもう一生それで生きていけるのよ。

雪さんとうらら、同CPなのに推しが違うのめっちゃよくない?

 

・つくった本の受け止められ方

ここが一番、この映画の安心ポイントだった。この世界マジ優しい。大好き。たとえ映画のご都合主義と言われようが私はあの世界の「やさしさ」を推す。

同人誌をつくるというのは、労力がバカみたいにかかる。さっきも言ったけど途中で「正気か?」って思う瞬間があるし、ずっと楽しいわけじゃない。でももう夢中で駆け抜けるしかなくて、私の世界を具現化するしかなくて、締め切りまで正気を失ったまま走る。

その結果届いた本って、無敵のアイテムでありながら弱点なんだよね。え、みんなそうだよね?

 

イベント当日、人がいっぱいいる会場で怖気づいて外のベンチに座っているうらら(超わかる)に、あろうことか、あの世界で一番かっこいい紡が「あ!見つけた!!」って駆け寄ってくるシーンで私は宇宙猫になった。え??わざわざビッグサイトにしか着かない電車に乗って日本中どこから来ても遠いビッグサイトに来てくれたの?全然一ミリもオタクじゃない紡が!!?!?いいやつすぎない?!!??!?!あと顔が超かっこいい!!!!!!

でっかいリュックを背負って「漫画できたら読ませてねって約束したじゃん、いくら?」と訊く紡。やだよ、と答えるうららに入場者のリストバンドを見せて「俺お客さんだよ?」と言う紡。つむっち大好き。百円玉と交換する本、ありがとうございますとお辞儀するうらら。

この世界でそんな私(私じゃない)に優しいことがあるか!?!?!?

あとその、憧れの漫画家さんとの奇跡みたいな触れ合いについては説明が面倒なので映画見てほしいんだけど、とにかくあの世界の人は一人残らずうららのつくったものを傷つけなかった。それがあまりにも安心してしまって、現実世界があんなにやさしいものばかりじゃないって知ってるけど、それでも私は安心した。

「情けないです」

「どこが?」

そう即答してくれる友人の存在。縁側で泣きながらサンドイッチを食べるうららのそばにある百円玉二枚が、あまりにも宝物だなと思った。

ていうかたぶんここが一番の泣き所だったのだろうが、私はこの頃にはもう泣き疲れており肩で息をしていた。

 

・ものづくりで変化したもの

この世界の優しさは最初から最後まで『変化』しなかった。お母さんはずっと見守り支えてくれるし紡はずっといいやつだしエリちゃんはずっと等身大のきらきらした女子だった。つまり、メタモルフォーゼしたのはうらら(と雪さん)だけだった。

クラスの中心でけらけら笑う美少女のエリちゃんを見るうららの気持ち、ズルいって呟いちゃう気持ち、わかりすぎて逃げ出したくなったけど、一冊の本をつくりあげたあとのうららの変化は目覚ましいものがあった。

自分の世界がたしかにあって、それを表に出す方法を知ったとき、さらに言えば表に出したそれが傷つけられずに『在る』と安心できたとき、やっと他人の世界を認める余裕ができる。私のいとおしい世界が在るように、あの人にも世界が在る。うららにとってはそれが漫画だったのだろうと思う。

だから雪さんが遠くへ行っても、これまでだったら「なんで!?せっかく友達になったのに」と思ってしまったかもしれないが、雪さんの世界が『在る』ことを受け止められたんじゃないだろうか。余談だが私はその、自分が知らない相手の世界の存在を「愛」だと思っている。

風通しの良い縁側で息の仕方を知ったうららは、この後の人生をずっと生きていけるんだろうなと、なんの不安もなくエンドロールを眺めていた。

 

ものづくりの人みんな

この映画を見て「私もはじめての本を作りたい!」と思うかはわからないが、もう本を作ったことのある人間は全員「身に覚えがある」だろうと思う。だから見て。この涙を共有しよう。

あとはたとえば好きなものを堂々と言えなくてクラスでちょっと居心地悪いなっていう若い子とかにも、観てほしいなあ。

私はもう30代になったが若い友人たちがたくさんいて、ときどき「こんな年上と遊んでくれて申し訳ねえな……」みたいな気持ちになることもあるが、そういう年齢差に関係ない趣味の交流をあたたかく描いてくれていて嬉しかったな。

歳をとっても硬くならず、雪さんみたいな感性を大切にしたい。